かつらでコンプレックス解消

かつら以外の選択肢

頭髪が薄くなってしまうことは誰にでもあります。そして、それは「いきなり」起こることではなく、徐々に進行していくことです。そして、さらには「年齢」に関係なく発生してしまうおそれがあることです。

私たちがもつ「社会性」は、「人と同じでいること」で安心感を持つような風潮があります。それは特に私たちの暮らす日本では顕著です。私たちはみな肌の色が同じです。髪の色も同じです。学校の規則などでパーマや頭髪の色を変えることが禁止されることが多いのも、アジアならではのことでしょう。これが欧米であれば、特に「アメリカ」などのさまざまな人種が暮らす国では、そもそも「みんなと同じ」ということ自体がナンセンスなのです。生まれつき肌の色が違ったり、眼の色が違ったり、髪の色が違う、それが「当たり前」であるから、そもそもそんな校則などで縛る必要がなく、また生まれつきは黒い髪であっても、自分で好きなように変えても自然なのです。自分がいたいような自分でいることができること、欧米圏ではそのような風潮が強いのです。

しかしそうではない私たちは、「みんなと同じでいること」が規則としてあり、「はみ出す」ことが「恥ずかしいこと」であると半ば教えられたようなものです。だから、若い世代で薄毛になってしまうとそれは「みんなと違う」から恥ずかしいことであるという考えにいたってしまうものです。「みんなは髪があるけれど、自分は薄い」ということが「悩み」として心に澱を残すのです。ですが、街を歩けば、そこにいるお年寄りは髪がまったく無いこともあるのです。歳を取ればそこには「違和感」はなく、別にそのお年寄りはそれを隠そうともしておらず、恥ずかしいとも思っていない、「いっそのこと、自分もお年寄りになりたい」と、また変な方向に考えてしまうものです。

すべては「気の持ちよう」であるのです。

誰がどう見ても、世界に目を向ければ、もっと自由な国があり、自由な人がいるのです。目が黒い、背が低い、足が短い、その他沢山、私たちは「自分にしかない特徴」があるのです。そのようなことに気がつかず、ただ「髪の毛が薄い」と嘆くのが私たちです。

あえて問いかけるとすれば、「だからなんなのか?」ということになります。頭髪が薄いと仕事が出来ないのか、頭髪が薄いと嫌な人間なのか、人に笑われたからといって何なのか?ということです。人の身体的な特徴を笑う人間は「最低」です。そんな最低の人間のために、そのような人間が自分を見て笑わなくするために、自分が悩む必要があるのか、ということです。

そのような考えに至れば、「かつらをつけようか」と思い至ることはありません。ただ、「自分が嫌だからかつらをつける」というのであればいいのです。自分のファッションとして楽しむためにつけるのであればいいのです。ただ、「人に笑われたくないから」ということでは、別につけなくてもいいのです。「人見て笑う人」は、最低の人種です。そのような人は、こちらも馬鹿にしてやればいいのです。いつか、痛い目を見て悔い改めることでしょう。「かつら」という選択肢は「なぜ」なのか、それをしっかりと考えたいものです。「恥ずかしい」ということなど、実はこの世の中には存在しないのです。

かつらでコンプレックス解消Topへ戻る

ページのトップへ戻る